みなさん、こんにちは!あこです (^^)/
今回は、タイトルのインパクトに驚かれた方もいらっしゃるかもしれませんが、看護師として患者さんの「死に際」に立ち会わせて頂くことが多かったからこそ、そのリアルさをお伝え出来たらと思っています。
※この記事の内容につきましては、私の個人的な見解のため、その辺りはご了承下さい。また、看護師としての個人の経験からの記事です。
このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載している場合があります。
学生時代に医師から教えられた言葉の意味
何からお伝えしていこうかな?と考えた時に、看護学生時代に医師から教えられた言葉で、今でも時々「やっぱりそうだったなぁ...」と感じることが多いこの言葉からまずご紹介しようと思います。
「死に際にはその人の生き様があらわれる」
みなに惜しまれて惜しまれて、大勢の家族に見守られながら亡くなっていく人。たったひとりで誰にも惜しまれず亡くなっていく人。
初めて聞いた時はまだ学生だったので、「なるほど。」ぐらいでしたが、実際に看護師になり死に際に立ち会うことが多くなってきた時、「確かに。」とその言葉を思い出すことが多くなったのです。
でも、これがすべてではないこともはっきり言えます。おひとりで亡くなったからって惜しまれていなかったわけではなかったですし、本当に様々なケースがあります。
では実際にどのようなケースがあったのかご紹介していきたいと思います。
記憶に残っているお看取り、死に際
看護師になって初めてのお看取りの場面は、覚えているものかなと思いましたが、私は全然覚えていません。今思うと、看護師としてまだまだ未熟過ぎて、ご家族の方々にとっては人生のなかでかなり大きな出来事ではあると思うのですが、「それどころではなかった。」という表現が正しいのかはわかりませんが(失礼がありましたらご容赦下さい。)、正直なところなのかもしれません。
『ドラマのような最期のシーン』
最近はあまりないかと思いますが、ひと昔前のドラマでのご臨終のシーンでは、一言なにか言葉を残して、ぱたっと亡くなるシーン多かったですよね!?実際にはそういうこと滅多にないんです。実際は意識が先になくなり、その後に心臓や呼吸が止まるパターンが多いからです。
でも20数年の看護師人生の中で1回だけあったんです!
その患者さんは当日状態が悪化し、ナースステーションに近い部屋へ移動していました。医師から呼ばれたご家族やご友人の方々が来ておられましたが、意識はまだしっかりあり、みなさんとお話もされていました。たまたま私が訪室した時、ベッド周りを囲むご家族やご友人の方々のおひとりおひとりの手をとって、「ありがとう。」とそれぞれに伝えていました。私に気づくと私にも「ありがとう。」とおっしゃり、みんなに伝え終わると最後に微笑み、ぱたっと目を閉じました。
ナースステーションから心電図モニターのアラームがけたたましく鳴り始めたのが聞こえてきて、その場にいた誰もが今亡くなったのだとわかる最期でした。
初めてのケースだったので、信じられず私もかなり動揺したのを覚えています。勿論おもてには出さないようにしていましたが、もしかしたら出てしまっていたかもしれません...
この方はあの時、ご自身で悟っておられたのかなと今は思います。きっとある面では悔いなく天国に逝かれたのではないでしょうか。
自分の「思い込み」を考えさせられるきっかけにもなりましたし、ギリギリまで周りの人たちに感謝を伝えられる人格者であった患者さんの最期の場に立ち会わせて頂けたことも、今ではありがたいことであったと思っています。
『予想外の急変をして亡くなる患者さん』
時々おられるのが退院当日や転院当日、入院当日に急にお亡くなりになる患者さん。私たち看護師はとても偶然だとは思えないことがあります。
勝手にですが、「家に帰ることでご家族に迷惑(介護負担)をかけたくなかったのかな?」、「転院は嫌だったのかな?」、「入院するのが嫌だったのかな?」などと思ってしまうほど、急変の予兆が全くなかったからです。もしかしたら目に見えないなにか別の力が働いたのではないかと考えてしまうほどです。
ご家族としてはなかなか納得できないケースになるかもしれませんが、もし私たちが考えたことが当たっていたとすれば、患者さん自身は後悔ない最期になったのかもしれません。
世の中には不思議なことが時々ありますが、こういったこともそのひとつではないかと思います。
『トイレの中で亡くなっていた患者さん』
こういった最期を迎えた方は、病院、在宅どちらでもいらっしゃいました。急激な温度差は血管や血圧に大きな影響(ショック)を与え、心臓に負担をかけ心筋梗塞や脳卒中を起こす引き金になりやすいのです。「ヒートショック」という言葉を耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか?こういった現象を指します。おそらくこういったことが原因になる方が多いのではないかと思います。
そして、お気づきの通り発見が遅れてしまいがちです。
病院の場合、トイレにいつ入ったのか?誰が入っているのか?全患者さんを把握することは出来ないからです。トイレには鍵もかかっています。勿論病院のトイレは外からも開錠できるようになっていますが、心電図モニターなどを付けていない限り、患者さんがナースコールを押さない限り、すぐに発見することは困難なのです。
在宅の場では、特に独居の方だと誰か人が訪ねてこない限り、もっと遅れる可能性があります。死後硬直が始まっていた方もおられました。
こうなってしまうと、警察の介入と検視案件となってしまう可能性が高くなります。訪問診療のかかりつけ医が定期的に介入していたとしても、事件性の有無を判断しなければならないからです。
※かかりつけ医の診断で持病や治療中の病気が原因で死亡したことが証明できる場合は検視にはなりません。
また、検視で死因が病死や自然死などと判断されれば、警察にかかりつけ医が足を運び、死亡診断をする場合もあります。
一度だけ警察に死亡診断に行く医師に同行したことがありますが、色々な面で言葉に出来ませんでした。こういったケースの場合、故人自身亡くなったことに気づいていないのではないかと個人的には思ってしまいます。ただ、故人の後悔という面では、どうなのでしょう?ある意味ない方、ある方と半々ぐらいになるのでしょうか!?
今回は少し長くなってきてしまったので、続きはまた次回にしたいと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました <m(__)m>
コメントを残す