みなさん、こんばんは!あこです (^^)/
今回は、人生最期の時を迎えようとしている終末期にある患者さんのケースについて、みなさんに知って頂きたいなと思っています。
医療者が時に悩ましく感じる「患者さんの苦痛緩和」とその「ご家族の思い」の対立。対立というと少し語弊があるかもしれませんが、どちらも叶えることが難しい時があります。今回はそんなケースについてご紹介していきたいと思います。
なぜかというと、超高齢化社会に入った今、ご自宅での介護、看取りを経験する方は今後増えていくことが予想されます。そこで、一部ではありますが実際の現場ではどんなことが起きているのかを知っていただき、介護または看取りをする側もされる側も、お互いに少しでも悔いの残らない選択が出来るようになっていただきたいなと思ったからです。(大きなお世話でしたらすみません💦)
例えば、先ほども出したように本人の症状(苦痛)緩和を優先させるのか、または看取る側の家族の思いを優先させるのか、特に在宅の現場では、時として悩ましいことがあります。
ご家族は良かれと思って選択していることでも、患者さん本人にとっては、逆になってしまうこともしばしばあります。
そこで、事前に考える、または話し合う機会を持てるようなきっかけになれば幸いです。
※この記事の内容につきましては、私の個人的な見解のため、その辺りはご了承下さい。また、看護師としての個人の経験からの記事です。
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看取りのとき
一般的に「終末期」とは、余命が数週間から半年程度だろうと予想された時のことを言うのですが、その中でもいよいよ残された時間に限りが…という段階になってくると、病名などによっても様々ですが、痛みや呼吸苦、吐き気や嘔吐(吐いてしまうこと)、全身の浮腫(むくみ)、どうしようもない倦怠感(だるさ)、身の置き所のなさなどの症状が強く出てきます(老衰の場合はこれに限りません。)。
文字にするのは簡単ですが、実際にはだいの大人が我慢でないほどの痛みや溺れそうなほどの呼吸の苦しさなど、想像以上の苦痛です。
ですが、その症状を緩和するのが私たち医療者の役目のひとつであって、在宅でも使える薬剤や緩和のための治療方法も随分と幅広くなってきました。
但し、緩和ケアでは、その苦痛症状を完全に拭い去ることが難しい時も実際にはあります。
そんな時は、鎮静といって患者さんに苦痛を感じない程度に薬剤で眠っていただくといった手段をとる場合もあります。もちろん、ご本人やご家族と相談の上でです。
ですが、家族としては話せなくなってしまう…コミュニケーションがとれなくなってしまう…または眠ったままこのまま亡くなってしまう可能性が高くなるというリスクをなかなか受け入れられない場合があります。
もちろん家族も出来るだけ苦痛はとってあげたいと思っていますし、出来るだけのことをしてあげたいと思ってはいるのですが、なかなかその判断になると難しくなってしまうのです。
一方、苦痛緩和のために何かを止めるという判断もなかなか難しいようです。例えば、浮腫がひどいので、点滴を止めるといった選択もそのひとつです。なにもせずに(実際はそんなことはないのですが)見守るだけという選択はとてもハードルが高くなってしまうようです。「せめて点滴だけでも…」といった言葉はよく耳にします。
そういったなか、私たち医療者も患者さんの苦痛緩和を図りたい。でも家族の気持ちも理解出来ますし、どちらにも後悔はしてほしくないという思いのはざまで常に葛藤です。どちらも尊重できる最善の方法を考えなくてはなりません。
人の命に関わる医療者としてこんなに難しいことはありません。
30代癌末期の患者さんの最期
こちらは少し前のことになりますが、病院でのケースです。
ある日、もう治療の効果が期待出来ないということで、在宅でお過ごしでしたが、呼吸苦を主訴に緊急入院されてきました。
癌の影響で胸に胸水と言われるたくさんのお水が溜まっていました。体内の酸素の量も維持できないため、酸素吸入も目一杯の量を使っています。
それでも「苦しい…苦しい…」と話すのもやっとの状態で訴えます。付き添ってきた家族はもうそばで見ているのも辛く、なにもしてあげられないと謝っています。でもそんなことはないのです。そばにいるだけでどれだけ不安が拭えるか…
そしてその日の夜勤は、看護師ひとりがその患者さんに付きっきりになってしまったほど患者さんは苦しんでいました。
胸に溜まっているお水を一時的に抜くという選択肢もありましたが、その患者さんの状態や状況からして、余計に苦しませるだけという判断のもとしない方針になりました。
そこで鎮静の話も出ましたが、家族は判断がつきません。目の前で苦しんでいる我が子とどれだけ代わってあげたいと思ったことでしょうか。しかし苦しさから解放させてあげたいと思いながらも、推測にはなってしまいますが、鎮静をさせたらそのままお別れになってしまうのではないか…など本当に様々な葛藤があったのだと思います。鎮静は選びませんでした。
この患者さんは何十時間も苦しんだ後、息を引き取られました。その時にやっと苦しさから解放されたのです。勘違いをしてほしくないのは、鎮静を選択しなかった家族を責めているわけではありません。
私たち医療者もそれぞれに、もっと他に出来たことがあったのではないか?違う選択、提案をしてもよかったのではないか?家族への関わりをもっとすべきではなかったのか?など、色々な思いを巡らせ最終的には悔いが残る結果となってしまいました。
ここに今も答えはないと思っています。どの答えが正しい、正しくないもありません。その時の最善を尽くし、この経験を今後も活かしていくことに意味があると思っています。
みなさんであれば、どのような選択をされますか?
家族の思い
これは在宅療養中の呼吸不全の末期の患者さんのケースです。
常に呼吸が苦しい。少し動いただけでもパニックになってしまうほどの苦しさに毎回襲われ、酸素量の調整や呼吸法などでどうにか落ち着くのを待つような毎日を送っていました。
常に眉間に皺を寄せ、私は笑顔を一度も見たことがありませんでした。愛想笑いする余裕さえないのです。安静にしていても1日に何度が襲ってくる更に苦しくなる発作に、本人も家族もビクビクしながら過ごします。緊急で医療者が呼ばれることもしばしばありました。
こんな状況でも家族は出来るだけ食べてほしいし、水分もとってほしい。定期的に呼吸の状態を知る検査もしてほしい(病院では比較的行われる検査ですが、在宅ではほぼやらないと言ってもいい、というかやらなければならない状態なのであればもう病院へいった方が良いレベルの状態ということ。)のです。
けれど家族は在宅でその検査をすることにこだわっていました。上記の理由を説明後もなお。
でも理解は出来ます。だって少しでも動いたら、パニックになってしまうほどの呼吸苦に襲われてしまうのだから、本人の負担を考慮して、在宅でその検査をして、結果が悪いようであれば病院へ戻るという判断です。出来るだけ慣れ親しんだ自宅にいてほしかったのです。入院してしまえばコロナ禍で面会もままなりません。
患者さん本人は、入院中からその検査は大嫌いだったそうですが、もう話すこともしんどいといった状態で、低酸素もあいまり意思表示も難しくなってきていました。家族に意見をする気力ももうないようでした。
家族の思いだけでその検査をするような気がしてしまい、でも家族は本人のためにそれが最善だと思っている。担当医も様々な説明を試みたようですが、家族の気持ちは変わらない。私たち看護師も同様。
結局、その検査を在宅で受け、即入院となりました。そして入院して数日でお亡くなりになったそうです。
本人は病院の方が安心だったようなので、良かったかもしれません。でも、退院すること自体病院側から反対されていたのに、少しの期間だけでも、自宅に帰ってくることが出来たことは、患者さん、ご家族の両方の思いに寄り添えたのかな?と思っています。
みなさんはどんな風に受け止められましたか?
自ら眠らせてほしいと言った患者さん
こちらも在宅でのケースです。
癌の末期のまだまだお若い60代の患者さんでした。この患者さんは痛みが強く、途中から鎮痛剤も内服のものから点滴のものへ変更になりました。
一時は効果もあり、とても良かったのですが、徐々にまた痛みが増していく日々に悩まされます。途中までご自分でつけていた痛みの記録も出来なくなってしまいました。動くことも食べることもどんどん難しくなっていきます。
鎮痛剤の量が増えていく度に、その副作用で眠る時間も増えてきましたが、まだ家族と話したりコミュニケーションをとることは可能でした。
ある時、訪問診療医が訪問すると、本人から「もう完全に眠らせてほしい。」という申し出があったそうです。家族にはすでに事前に伝えてあったようで、家族は本人の意思を尊重されていたそうです。
鎮痛剤の点滴と一緒に鎮静剤の点滴も始まりました。私たちが訪問した時には、穏やかな表情でお休みになっていました。
ですが、高齢なお母様はその姿を見る安堵感と裏腹に、自分よりも先に子供を亡くす悲しさに目を腫らしていました。前からそういったことをよく口に出しておられました。
でもとても穏やかな時間が流れていたのを今でも思い出します。それから数日後、家族に見守られながら静かに息を引き取られました。
家族は「もう十分頑張った。」と声かけしながら、感謝の気持ちをそれぞれに伝えていました。一番側で大変な思いをしているところを見てきたからでしょうか。悲しいけれどもどこか納得されている雰囲気が伝わってきました。
本当に患者さん個々に様々な看取りのケースがあります。みなさんも当事者になった時、どのように感じ、どのような選択をされるのか、一度考えてみることもいざという時に何かしら役立つかもしれません。
今回も最後までお読み頂き、ありがとうございました <m(__)m
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