患者の死に向き合う看護師の心情

, , , , ,

みなさん、こんにちは!あこです (^^)/

今回は、「患者さんの死」に向き合う私たち看護師の気持ちの整理について綴っていこうと思います。

私が生まれて始めて「人の死」に直面したのは祖母の死でした。小学生でした。直前にお見舞いを許された時、母から祖母の前では絶対に泣いてはいけないよと言いつけられていました。

祖母は癌を患っていましたが、その頃はまだ本人への告知はしないことが主流の時代。母はすでに担当医から先が長くないことを伝えられていたのではないかと思います。私が泣いてしまうことで、それを祖母が察してしまうのではないかと心配したのだと、今になって思います。

しかしまだまだ幼かった私は、前回会った時とは変わり果てた祖母の姿を目の前に堪えきれず泣いてしまいました。祖母はそんな私を黙って見つめていました。その後母から怒られた記憶はありませんが、次に祖母に会ったのは息を引き取った後のことでした。

看護師になった後、あの時、祖母はどんな気持ちだったのか?私の涙が何かの宣告になっていなければいいなといつも思い出します。

※この記事の内容につきましては、私の個人的な見解のため、その辺りはご了承下さい。また、看護師としての個人の経験からの記事です。

このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています。



看護師の心情

患者さんの死に立ち会った際の看護師の対応については、よく議論がされていますが、私は個々それぞれに考えるどんな対応でも問題はないと思っています。

看護師もその患者さんとの関わりの深さ長さご家族との距離感反応そして死に際の境遇などによって感情の振れ幅も大きく変わります

泣き笑いでご家族の「大往生だ」という言葉で最期を飾る方もいれば、目の前の現実を受け入れられず、人ごとのように立ち尽くしているご家族亡き骸に泣きすがるご家族パニックになってしまうご家族ショックが大きく倒れてしまうご家族も

そして静かに受け入れるご家族冷静に早々に葬儀屋さんに連絡を入れるご家族ひとりきりで最期を迎える方など、本当に人の死に際は様々です。

冷静でいなければならない時ももちろんありますし、それが出来ないほどの大きな感情の波に襲われる時もあります。決して看護師が「泣くこと」がいけないことだとは思いません

自分の感情とプロ意識の狭間

そして、看護師の感情が思わず出てしまう、そういったことがご家族への慰めになる時もあります。

但し、仕事が出来なくなってしまうようではプロではありません。その辺りの切り替えが出来れば問題はないのではないでしょうか。

また、どれだけその場の空気を読みタイミングを見計らいどんな対応が望ましいのか冷静に判断している自分が半分いるのも正直なところです。おひとり患者さんが亡くなったとて、他にも看なければならない患者さんは大勢待っています。

また、自分が勤務中立場が一番上であれば、他のスタッフの仕事の進み具合いの確認業務量の調整もしなければならないのが現実です。

なぜか息を引き取られるタイミングは夜勤帯であることがほとんどです。看護師の人数も限られてしまうのです。

ただ、病院に比べ在宅の方がそういった点では、ご家族と向き合える時間は多くとれますグリーフケアといって、死別により悲嘆している遺族のサポート亡くなった直後から、またしばらく時間をおいて改めてご自宅に伺い、お話をうかがったり、気持ちの整理をお手伝いしたりすることもあります

看護師が思う悲しみと癒し

訪問看護師をしていた時、6年ほど担当させていただいていた患者さんが息を引き取り駆けつけた時のことです。私の顔を見るなり奥さまに抱きつかれ泣かれてしまったことで、私もダムが決壊したように涙が止まらなくなり、しばらく2人で「ああだったね、こうだったね…」と寄り添いながら泣いてしまったことがありました。でもその時間はその奥さまにとっては気持ちを整理する上で必要な時間であったと思いますし、私にとってもそうであったのかもしれません。

そしてこれもまた訪問看護師をしていた時のケースですが、訪問頻度が多く、数人の看護師で担当していたまだまだい若い60代の患者さん。もうすでに終末期でした。

ご家族のショックが少しでも和らぐように、事前にある程度の覚悟が出来るよう徐々に現状を伝えていた私たち。残された時間が刻々と迫るなか、ほぼ予想通りにある日の朝方に息を引き取られました

時間帯の都合で、最期のケアには担当者ではないスタッフが訪問することになってしまいました。そのスタッフによると、ご家族はみないつまでも亡き骸ににすがり泣き続けていたそうです。その様子から「全く受容出来ていなかったと思う、きちんとケアをしていたの!?」と指摘を受けました。

ですが、いくら亡くなってしまうことがわかっていても、いざ亡くなってしまえば悲しいことに変わりはないですし、事前にある程度の覚悟は必要だと思いましたが、すぐに受容出来るまでにしておく必要があるのでしょうか?また、そんなに息を引き取った後に泣きすがり続けることがいけないことだは私は思いません。そのご家族にとっては、そういうお別れの仕方が必要だった。いずれこのお別れが「癒し」に繋がっていくのではないかとも思っています。

みなさんはどんな風に思われましたか?

個人的にはきちんとお別れすることはとても大事なことだと思いますし、個々に決められた命の時間にはあらがえませんが、患者さんやそのご家族には、出来るだけ悔いを残さないよう残された時間を過ごし、最期の時を迎えてほしいなと思っています。

ここは人によっても考え方が違うと思いますので、正解があるわけではありませんが、看護師を続けているとこういった議論も深まります。

看護師の仕事から得る思い

看護師の仕事をしていなければ、こんな議論をすることも「人の死」についてこんなに考えることもおそらくなかったでしょう。人の生が誕生し、終焉を迎えるところでもある職場はとても特殊です。

前の記事でも書きましたが、人の素の部分を見る機会も多く患者さんしかり医師や看護師もしかり)、なかなか学びたくても学べないようなことを得られる職業でもあると思います。

ただ、かなり大変な思いをする職業であることも確かです!Xも荒れがちです~💦

でもかなり奥深い…いつまでも好奇心はなくならないですし、永遠学ぶことがなくならない気もしています ( *´艸`)

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございました <m(__)m>

こちらも合わせてどうぞ🎵

看護師からみた終活と人生会議(ACP)とは?

看護師からみたリアルな死に際~そこに後悔はある?~

看護師からみたリアルな死に際~そこに後悔はある?~続編


コメントを残す